2026年8月のクレープストーリー (毎水曜更新)
【8月のクレープストーリー】
風が運んできた夏
第一話
ランニングシューズの靴紐を結び家を出た。
路地を曲がり大通りに出る。
車道の信号が青に変わり、静かだった通りに車の走行音が響く。
私は赤に変わった歩道側の信号に足を止める。
午前5時。
私は車の波が途切れると、車道の向こうに見えている神社に手を合わせる。
集中していると車の走行音がスッと消えた。
目を開けると今度は歩道側の信号が青にかわっていた。
私はスマートウォッチの一時停止を解除する。
ピッという音と共に規則正しいストライドが再び刻まれてゆく。
「はあ…はあ…」
緩やかな勾配を走って登ってゆく。
信号で足止めを喰っている車の波より速く頂上に着きたい。
人も車もいない橋の上。
寂しさが心地良い、まだ明けきらない町の風景。
川風が優しく吹き上げてくる道を、橋の下まで一気に駆け降りよう。
ポニーテールが左右に激しく揺れる。
土手に降りる道を左に入ると、遥か川向こうに空中都市のようなビル群がゆらめいていた。
私は温まった体にエンジンをかけスピードを上げる。
朝日が正面に昇り、辺りを金色に染め出した。
川面に太陽が反射して光の粒をキラキラ煌めかせている。
私はあまりの美しさに立ち止まりスマホのレンズを向ける。
逆光なので上手く撮れず、数枚シャッターを切った。
すると突然、朝日の中から自転車が飛び出してきた。
シャッターと格闘していて気が付かなかったが「シャーッ」という音に目を上げた瞬間、光線がもろに目に入り視界を幻惑した。
そのため自転車の接近に気が付かなかった。
「危ない!」
そう思ったが、自転車は思ったよりゆっくり近づいてくる。
向こうからは私のことがはっきり見えていたのでスピードを落としたのだろう。
しかし私が気がついた時にはほぼ目の前だった。
私は、突然のことだったのでスマホを構えたままになった。
あちらも撮られていることに気がついたのか、少し顔を伏せた。
私は咄嗟にスマホを下げた。
すれ違う時に自転車の男性が
「暑ちい…」
と呟いた。
その乾いているのに熱を帯びた声がハッキリと私の耳に残った。
振り返ると、黄色いサイクルジャージに黒いヘルメット、黒いスポーツサイクルが遠ざかってゆく。
私は踵を返しそのまま走り続ける。
折り返しの橋を登る足が、さっきより軽く感じる。
橋を上り切ると広がる東京の街。
吹き上げてくる風が揚力を生むように、私の体をふわりと軽やかにさせる。
まるで東京の街へ飛び込んでゆくような感覚。
軽やかになる気がするのは風や景色のせいだけではないとなんとなく感じていた。