1月のクレープストーリー (毎水曜更新)
一月のクレープストーリー
パステルブルー
この世の全ての音がどこかへ吸い込まれてしまったように耳鳴りだけが響いている。
もし、真空管の中に入ったらこんなふうな感じなのだろうか‥。
キリッとした空気の中、視界に入った物すべてがまるで一枚の絵のように動きを止めている。
音や景色だけじゃなく、時そのものが止まっているのじゃないかしら?
そんな中にいると私自身なんだか動いていてはいけない気がして立ち止まる。
呼吸すら慎重に一つ一つゆっくり深く繰り返す。
意識的な深呼吸と、水色の時の中で私の心はスーッと落ち着きを深めてゆく。
外気の冷たさすら心地良く私を包み、感覚を研ぎ澄ます。
頭冷心温
そんな言葉は、どこにも存在しない。
勝手な造語が浮かぶ。
心は熱く滾っても、冷静な頭脳=理性で己を制御する。
うん、なかなか気に入った。
私は、私が作ったこの言葉を私の好きな言葉にしようと決めた。
若い頃は朝が苦手だった。
恋に傷つき、夜通し泣き通したその後にやってくる青く冷たい朝が嫌いだった。
朝そのものよりも、一日の始まりに一番エネルギーが満ちているであろう朝の時間を一番嫌いだと感じる自分が嫌いだった。
いくつかの恋が過ぎた後、私は気がついた。
なぜ本当は好きな時間を嫌いにさせられるのだろう。
それ以上に、相手との関係によって、私の時間が変化させられてゆくことが許せなかった。
それは私にとって良い関係とは言い難い物だった。
恋をすると周りがキラキラ輝いて見えるという。
でも、私はいつも周りの景色をキラキラしたものとして見ていたい。
私自身が人に左右されてしまっていることにショックを受けた。
私の主導権は私が持つ。
私の時間は私のものだ。
感情に押しつぶされて自分の時間を無駄になどしない。
そう決意した時、私の価値観が変わった。
私のコンディションは私が良くする。
たとえ恋に傷ついても見ている景色の美しさは変わらない。
私を大切にすると恋人に対しても寛容になれた。
結果、お互いを尊重し私に自由な愛し方をもたらした。
私らしさを取り戻せた時、再び朝が輝き出した。
それは自分を取り戻せた瞬間だった。
西の空が明るく滲み出す。
私は研ぎ澄まされたこのままの状態で朝日を浴びに屋上へ駆け上がる。
ビルの向こうの山際が淡いオレンジに染まり出す。
私は目を閉じ深く息を吸い込む。
再び目を開けると、太陽がほんの少し頭を出した。
もう一度目を閉じ深呼吸をする。
目を開けると、もう太陽が地平に1/3顔を出している。
もう一度目を閉じ、神経を集中させる。
まるで地球の早さを体感しているような錯覚を覚える。
もしかしたら本当に体感していたのかもしれない。
目を開けるとすっかり太陽が昇っていた。
風が吹いている。
清しく私の頬を撫でていく風の気持ち良さに私はもう一度目を閉じ、胸いっぱいに爽やかな風を吸い込んでいた。
海に来た。
青い水平線が潮で白く煙っている。
砂浜のサンドベージュと空の薄いパステルブルーが美しく調和を保っている。
日差しはまだ柔らかく、風は頬を切るように冷たい。
防波堤に腰掛けてノートにスケッチを描いてみる。
海のスケッチは都市と違って、造形物が少ない分下手な私が描いてもそれなりに原風景に似たものが描ける。
だから私は、自然の風景に心が動くと手近にあるノートや本のページの余白、手帳の空いたページにスケッチを描く。
写真もその場をしっかり切り取れるけれど、手書きの方が空気感や印象を写し取れる気がする。
絵が下手な分、後で見返してみると、余白にある情報を思い出が補ってくれる。
だから私はスケッチに色をつけない。
色は水彩のように移ろう方が美しい。
記憶は、本人も気づかないうちに、少しずつ姿を変えてゆく。
それはエイジングで味を増していくアンティークのようだとも思う。
私だけの一点もの。
そんな気がして愛おしくなる。
風が爽やかだ。
スケッチに最後の一筆を入れ終える。
私は海が、波が、空が、空気が、透明なパステルブルーに包まれているうちに渚を後にした。
to be continue…